|日々のインデックス
(4月以前の日々)|
■♪行くさーきざぁきで思い出すのは〜(5/25)
■「せいれいしていとs」ほか悪魔の文字列の退治法(5/18)
■『スター誕生!』で見てました(5/7)
6月以降につづく
5月25日(日)
7時ちょうどのあずさ1号で信濃路へ。野辺山日帰りで、とある高原ホテル(のテレビ番組撮影)のやんわりとした取材。小淵沢で小海線への乗り換えは、以前は線路を横断していたような気がしたのだが、最後に小海線に乗ってからはどう考えても20年以上経っている。そりゃ変わるわな。
それよりも新宿駅の中央本線ホームがえらく南に移動していてびっくりした。京王線から乗り換えようとしたら通路が異様に長い。はるか前方に「ホームまで130m」の表示が見えるあたりで発車のメロディが流れてきて、朝っぱらから全力で走った。途中何度ももうダメか、遅れたらどうなるかどうするかと考えながら本気で走り、あずさ1号に飛び乗って10秒もしないでドアが閉まった。八王子の手前まで動悸が納まらん。前回の検診で「異常なくらいいい」とほめられた心電図、今、計ってほしかった。
標高1500m、高原の風は心地よく、蓼科ともまた違うリゾート。近日中にもう一度撮影に来るので、限りなくロケハンに近い仕事はメリハリなくふにゃぁと時間が流れ、案外くたびれた。
5月23日(金)
『岸辺のアルバム』(小説)と『想い出づくり』(シナリオ)と『路上のボールペン』(エッセイ集)の山田太一作品を一気読み。日本史上に「テレビ番組の密度が濃かった時代」というのがあって、それが1970年代半ばから80年代前半(=昭和50年代か)だったんだろうなぁと今さらながらに思う。まぁ、昔も今も、その最中ではどういう時代かなどと俯瞰して見られやしないのだけれども。
ついでながら8ポ2段組とか、9ポ43字ヅメ17行/ページとか、当時は本の密度も高かった。文字の密度もさることながら、内容はいわずもがな。出版点数が半分以下だったはずだから内容スカスカ本は出る余地がなかったわけか?
5月22日(木)
ぎゃ。進行中の仕事が1件、著者&版元の事情により中止。こんなことは厄年以来絶えて久しかったのだが。西場の3局でようやく3万3000まで漕ぎつけたような今日このごろ、仕事を取り巻く風向きが変わったのではない!と思いたい。
5月21日(水)
新高輪プリンス・飛天の間で著者M先生のパーティ。例によって著名人ウォッチングするつもりが、人数多すぎ。人口密度が異様に高くて半径2メートルしか見えん。橋龍と佐々さんと鈴木清順(によく似た人?)くらい。SD社新社長・タケさんに会えた。「こんな時期に社長になっちゃって…」などと正直な感想、ご活躍をお祈りしております。
5月19日(月)
先週末SD社編集S氏より詳細なるコンテが届いて、まずは内容確認。電話で打ち合わせしていて、どんな書き方(仕事の進め方)をするか聞かれた。「毎週締め切りを設定したほうがいいですか?」って、そういう人もいるんだろうなぁ。この編集部はおれも2年間だけ在籍したことがあってコンテはさんざん描いたが、ついぞそんなマメな催促などしたことがなかった。のんきな時代だった。
で、書き始めるまでが難渋するんだ、おれは。書き出しよりも構成で悩む。ヘタしたら内容よりも、どういう順番で語っていくかということに、興味と能力の大半を費やしておるのではないかと思うくらい。編集ドメインな出自を感じてしまうのだ。今回は詳細なるコンテのおかげで、その構成にあんまり力と時間を割かなくてすむから(いつぞや江戸川氏が「SD社製設計図」として感心していたアレ)、少し最初のハードルは低いのではないかと思っている。
「あんまり細かく締め切りを切られると、毎週やっつけ仕事になりそうで」と、言い訳はできるうちにしておいた。ともあれ「しばらくはほっといて」と頼んでおいたが、さて。
5月18日(日)
金曜午前中はP社で著者H先生取材、夜・TS誌校了で、来週のことはともかくとして、一瞬解放された。と思った途端に、昨土曜は20時間くらい寝ていた。昼前に起きて軽メシ食ったら夕方まで爆睡、晩飯を支度して、軽く食べたらまた爆睡。23時ごろ起きて『チューボーですよ』見たらまた寝てしまった。寝ても寝てもまだ眠い。瞼が重い。先日、根性系ライターM氏と「眼瞼下垂症」についてひとしきり話題になったのだが、瞼が下がるから眠いのか、眠いから瞼が下がるのか。
下記のフリーズ問題、ネットで探していたら「ATOKのユーザー辞書が壊れると発生する(ことがある)」という書き込みを見つけ、i-Bookからコピーして入れ替えたら直った。新しい機種に入れ替えようかと2晩ほど悩んだが、これでまた先送り。
5月15日(木)
火曜にP社から原稿の進捗状況を尋ねる電話。あわてて書き始めた。いや、データの整理はすんでいたから、一晩あたり10枚の目算で金曜朝までに30枚程度の予定で楽勝。だったのだが、事務所PCが絶不調。特定の文字列で必ずフリーズするじゃないかぁぁぁぁぁ!。
その悪魔の文字列とは「せいれいしていとs(政令指定都市、と打ちたかった)」「といあわせにたいs(問い合わせに対し、と打とうと思った)」など、9文字目のsがアタリらしい。水曜日の夜、事務所に戻ってきて気がついた。とにかく短い文節で変換するようにごまかしてきたけれど、20〜30分に1回「地雷のs」を踏んでフリーズして、強制的に再起動しているようではどうにもならん。
ところで例の白装束。広島で友人から聞いたのだが、数年前は高校近くの山中にもいたのだそうな。「電磁波の測定するのに耕耘機が邪魔になるいうけぇ、止めて待っとったりした」ということで、いなげな連中だとは思ったものの、なにやら長閑に共存していたらしい。へぇ。
5月12日(月)
今朝、がつんと大量の締め切りがあって、金曜夜からスクランブル体制で原稿を書き、昨夜は横浜で友人一味・テツの結婚式に行き、さっさと事務所に帰って原稿書くつもりだったのに甘いカラオケ2次会の誘惑に、「よみがえるスタ誕の時代」を書き上げたばかりのおれとしては抗いがたく、結局夜になって戻って引き続き原稿書きして目鼻を付けてから明け方帰宅したら、祖母が亡くなったという連絡があった。享年96。ウチは両親が働いていたのでばあちゃんにはひとかたならず世話になった。というわけでこれから広島へ行きます。連絡は携帯へ。すんませんがよろしく。
5月7日(水)
70年代、スタ誕でもっとも人気のあった作曲家・ST氏を面談取材。やはり「カッコえぇ〜」と思った。中学生のころよく見ていた著名人に会うとき、うわずってしまうのはなんでだろう。数日前から読んでいた資料に出てくる曲はすべて口ずさめたのには自分で感心した。
5月3日(土)
昨夜からH家と蓼科の山荘。今年はえらく天気がよくて陽射しは暑いくらい。強力な紫外線も実感。
5月1日(木)
後方確認せず、ウインカーもださずに左に車線変更した500SL(もちろんメルセデスの)にバイクがはじき飛ばされるのを間近で見た。運転して50代とおぼしきオババはタクシーの兄いに怒鳴り飛ばされて「ゆっくりゆっくり曲がったのよう。ゆっくりゆっくり」とそれだけ何度も繰り返してやがる。
バイクの兄ちゃんは意識もはっきりしていたし、取り立てて骨折などもしていないようだったが。このオババがあと3秒早く車線変更したら、自転車のおれがやられていた。路上はそれなりにリスクにあふれている。
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