天然素材容器の駅弁カタログ
新潟から松山へ。1000Kmの竹と木の道
要するに、竹や木でできた容器の駅弁を行って買って撮って食うのである!
第1日(2/23)。
まずは07:15のあさひ305号で新潟へ。「五目ずし」ほか駅弁3個買って、新津へ。 鉄道の町で創業100年という弁当屋を取材後、信越本線・北陸本線で富山へ。定番「ますのすし」「ぶりのすし」を買って、富山港線で撮影してたら日が暮れた。このあと敦賀までいって鯛の押し寿司「鯛の舞」をゲットして、泊。
買い集めた駅弁を撮影して食べて、さらに器を洗って撮影。したのだが、ここで今回のプロジェクトの困難さにわしら3名(担当編集M氏、写真撮影N氏、おれ)は直面したのである。● この日入手した駅弁は、「SLべんとう物語」「越後五目すし」×3「数の子すし」「ますのすし」「ぶりのすし」「鯛の舞」×2。の計9個。押し寿司が多いので、15人分はあるのではないかというコメの量である。しかも冷たい。冷えた体にこれは堪えます。
この酢飯攻撃に耐えて、のどまで詰め込んで、温泉に入った後、11時半から、街までタクシーで飲みにも出かけたのである。第1日目。まだ、元気だったのだ。夕方からの雨はみぞれに変わっていた。
第2日(2/24)。
朝も早よから敦賀駅。昨日買えなかった「越前四季の釜飯 鯛」購入。北陸本線で米原へ。雪景色である。5月号なのに。芦で作ったすだれ状の器「湖北のおはなし」購入。
米原からは新快速で京都。「竹篭弁当」「精進弁当」。
竹の容器だからとイメージ写真を撮りに、山陰本線で嵐山まで足を伸ばす。その後、また新快速で大阪。「八角弁当」「赤飯弁当」。またまた新快速で西明石。今回、異様に腹が減る仕事なのである。弁当を大量に持っているのに、夜、宿で撮影するまで食べるわけにもいかない。というのも、カタログ風に写真を撮るためライティングの必要があるからなのだ。「ハラ減った、腹へった」と言っていたらM氏、竹篭弁当を1コ余計に買ってくれた。新快速の中で3人で分け合って食べる。うまいんだけど、暖かいものが食いたい。立ち食いでもいいから。
そういえば学生時代、おれは帰省はたいがい在来線を乗り継いでいた。東京から広島まで18時間かかったが、学割で3600円だった。今じゃ青山から三宿くらいしか行けんぞ。タクシーだけど。そうそう、それで西明石の立ち食いソバがうまかったんだ。● 午後2時すぎて、ようやく日が射してくる。
在来線から新幹線の乗換口の売店で「魚篭弁当はもどん」「ひっぱりだこ飯」「めでったい飯」購入。夕方までに岡山から瀬戸大橋を渡って、高松までいかなきゃならないスケジュールなので、結局立ち食いも食えず。
震災のてんやわんやが一段落するとともに、被災地では弁当の売れ残りも増えてきたらしい。でも売れ残りのなかったのがなかったのが「魚篭弁当はもどん」「ひっぱりだこ飯」「めでったい飯」の調整元・淡路屋の弁当だったという噂がある。そうですか。期待してます。
食い物を残すのは罪深いが、まずい食い物を作るのは犯罪的だと思うぞ。
阪神大震災から5年、車窓からの神戸は傷跡も癒えたように見える。震災時、被災者は冷え切った食事しかできないので、温かいものは白湯でも感激したそうだが、今はおれも想像できる。吉野屋行きたい、立ち食いソバ食いたい。● 岡山までは新幹線・こだま号。0系という初代新幹線の車両。ここまでずっと在来線に乗ってたもんで、こだまとはいえさすがに早いですなぁ。窓の景色が瞬時に溶けて流れ去る。もはや営業はしていないビッフェ車両に、懐かしのスピードメーターが壁についていた。200kmを指していた。
どうせ夜はまた駅弁なのだから、駅弁じゃないものを食べたかったのだが、結局、新幹線の中で駅弁。● 岡山からは瀬戸大橋を渡って四国・高松へ向かう。瀬戸大橋の直前で日没。高松で「お遍路さん弁当」買って、宿を探したら国立大学の入試とかで1軒も空きがない。
戦後の新制大学(旧2期校=多くは地方の国立大学)を指して「駅弁大学」と呼んだのは大宅壮一先生である。そのココロは、駅弁を売っている程度の町なら(大学ともいえないような)大学がある。まぁ、大学の大衆化をヤユしたわけですね。
駅弁の取材にきて、駅弁大学の入試にぶち当たるとは、と毒づきながら温泉に浸かる。結局、高松での宿泊をあきらめ、坂出で、社員旅行で泊まるような観光旅館に泊まったのである。それはそれでよかったけど。
夕食が出て、撮影して駅弁食ってとやっていたら、さすがに今日は街まで行く元気なし。駅弁も食べきれず残してしまった。食い物を粗末にしたようで後味がよろしくない。3名とも同じだったらしく、このへんはさすがにおじさんである。
第3日(2/24)。
食生活の偏りのためか、両手のささくれがひどい。オマケに口角も荒れてきたようだ。命かけてやるような仕事じゃねーよなーとも思うが、なんのなんの。やりまっせー、自営業じゃけぇのう(何弁?)。
高松駅に再び行って、駅舎など撮影。予讃線で今治。「来島活鯛の押寿司」を買う。店では店主手ずから箱を組み立ててもらって写真を撮る。● せとはーひぐれてーゆうなーみこーなーみー、あなたーのしーまへーおよめーにいーくーのー。四国にきてからホームのメロディは、どこへ行っても瀬戸の花嫁である。
一日中聞いている気がする。離婚騒動をいちばん苦々しく思っていたのはJR四国かもしれん。蛇足ながら、おれが新卒で就職して、一番最初に行かされたのが小柳ルミ子のマンションの張り込みだった。賢也くんはそのころ小学生だったんじゃないだろうか。閑話休題。● 松山で「醤油めし」を買って、さらに足を伸ばして八幡浜まで行く。木製の折り箱では15年連続してシェア日本一という容器メーカー取材。社長(79才)は取材に応じてくれたが、工場の機械設備は見せられないと言う。しばし粘って交渉するも結局許されず工場外でスナップ。 最後にきて画点龍晴を欠くようで残念だが。
「今年はミカン農家はみんな泣きよる」とタクシードライバーが言う。とにかく不作、できが悪くて市場価格も半値以下らしい。「でも国から補助金がもらえる」とも。
「おれたちも仕事が不作のときには補助金欲しいよ」とNさん。そうそう。
四国は日本のGNPの4%を占めるにすぎないそうだが、風景はなんだかのんき。住んでいる人はのんきと言われてうれしくないだろうけども。● これで、とりあえず前半戦はミッション・コンプリート(任務完了)。編集M氏と写真家N氏はおしまい。明朝、松山空港から東京へ帰るそうで、今夜は道後温泉に泊まるという。ええのう。
おれは、明朝9時に草津(滋賀県!)で、後半戦の写真家K氏と待ち合わせ。当初は高速船で広島に渡ろうかと思ったが、鉄路、岡山へと向かうことにした。● 夜10時前、ホテルにチェックイン。温かいモノが食べたいのだが出かけるのも面倒くさく、ルームサービスでハヤシライスを頼む。感動的にうまい。別項でも書いたようにホテルではモジュラーはあったが、つながらん。フロントの言うとおり、回線はパルスに設定して、電話機の横についているモジュラーに接続、電話でゼロ発信すると何度やっても知らない人の家にかかってしまった。
深夜、0時過ぎててはた迷惑なので結局ヤメ。<BR>
第4日(2/25)
07:19の新幹線で京都へ。新快速に乗り変えて草津へ。K氏と待ち合わせである。予定通りおちあってまずは駅舎を撮ろうと表に出ると、歩道わきや植え込みの上に雪が積もっている。5月号なのに。空も鉛色。とりあえず看板などヨリで抑えて、改札斜向かいの売店で「お鉢弁当」「近江たぬきの万福めし」購入。● 北陸本線に乗り換えるため、米原へ。一発目のハプニングはここで起きた。K氏、いきなり三脚をここまでの電車の中に置き忘れてしまったという。結局折り返し運転の電車だったので、小1時間後、無事戻ってきた。気の毒なほど恐縮するK氏。でも、その後がすごい。ぼろぼろに使い込まれた時刻表を取り出して、その後のスケジュールを決定。さすがに鉄道モノの写真のプロ。
このドタバタのおかげで「伊吹かまめし・陶器バージョン」を発見。多くはプラ製だが、少量は美濃焼の容器があるとのこと。● 北陸本線加賀温泉駅で「特選上ずし・百万石」購入。駅舎や周辺の写真を撮ろうにも雪景色。しょうがないのでさっさと次に向かおうとすると13分の待ち合わせしかない。大急ぎで改札外の売店で購入、写真も撮らせてもらって富山へ。車中、弁当のブツ撮りができないかとテストするものの断念。
3日前もきた富山だが、今日は冬の光である。富山には「ほたるいか釜飯」があるのだが、春〜初夏の季節限定商品だそうで、今回は購入できず。さっさと高山本線で次へ向かう。● 汽車(気動車=ディーゼルカー)は雪景色の中をひた走る。先頭車両、いちばん前の席が空いていたので、ガラス越しに運転席と前方の景色が見える。ロマンスカー状態。
「電車でGO!」のヒット
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